筑紫野で民泊「山人庵」を提供しています
あなたと自然のお仲人「山人クラブ」です。
筑紫野の里山には四季折々の森や田畑の美しさがあります。
美味しくて新鮮なお野菜たち。
小川のせせらぎと小鳥のさえずりを
間近で聴きながら
まったりリラックス。
そんなところです。
筑紫野は太宰府のお隣ということもあって
歴史的にも興味深いところが多いのです。
今日はその歴史的なところを
山人クラブのガイド酋長と一緒に紐解いていきましょう。
基山が基肄城跡と言われるわけ
基山、そこは標高405m。
健康で歩くのが好きな方なら初心者でもOKなコースになっています。
さらに、そこは絶景なのです。遠くは福岡市の博多湾まで見えます。
今から遡ること1400年ほども昔のこと。
西歴663年白村江の戦いで負けてしまった大和朝廷が、太宰府を朝鮮半島からの襲撃から守るためにここに日本最古の山城を作ったのです。
それが基肄城です。他にも大野城と言われる山城と最大級の水濠である水城の3方から防衛に努めました。
今でも山中に残る土塁や礎石は、実際に見たり触れたりできる遺跡です。この見晴らしの良さは、太宰府を防衛するのに有効でした。
敵が攻めてきたときに、城に入ってくるのを防ごうと作られた「いものがんぎ」は未だに残っており、見ることができます。
これは、山頂近くに大きな凸凹が作られているのですがこんなところにまで人力で土を運んで盛って行ったことを思うと気が遠くなるほどの労働力を感じずには入られません。
また礎石の後の上には、無造作に置かれた、1400年前の屋根瓦…。
貴重なものをすぐそばで見ることができました。
白村江の戦いって何?
663年の白村江の戦いとは、朝鮮半島で起こった戦いです。この戦いで大敗したことは、その後の日本に影響を及ぼすほどの大きなことだったと言われています。
この戦いが起こる前、朝鮮半島では、百済・新羅・高句麗の3国が頻繁に争っていました。
そのとき、百済は新羅と唐の連合軍に敗れてしまいます。そこで百済の残党が日本に援助してくれと言ってくるのです。
ここで勝てば、中国へも影響力を持つ強い国になれると思った日本は百済の援護に行くわけです。
それが663年の白村江の戦いです。百済の近くの海で新羅・唐の連合水軍と戦い、惨敗したのです。
もっとも朝鮮半島に近い九州福岡。そこを防衛することがいかに大切だったか。
そのために、たくさんの人の汗と涙で作られた大掛かりな防衛山城だったのです。
それがわかってきました。
歴史の後は、アウトドアクッキング
遠い昔の人々に思いを馳せたあとは
みんなでワイワイクッキング。
基山は緑豊かで山菜の宝庫。
酋長はガイド兼シェフです。
季節ごとにいろんな若い芽が出て、目と胃袋を満たしてくれます。
私たちがここで提供するメニューは
「丸天うどん」
(基本バージョン)
そのうどんスープに季節の山菜が入って彩りをよくしてくれます。
2月の早春は、まだ肌寒いのだけど
植物たちは芽を出していました。
途中でキクラゲを発見しました。
枯れ枝に付くのですね〜。
参加者の皆さんも初めてのワイルドキノコに恐る恐る枝から外す。
と思いきや、生で味見しようとしたり!!
これが、ハイキング中に採取したキクラゲをトッピングした
「山菜キノコ丸天うどん」
これは・・・
丸天忘れてお花バージョンのうどん。
ツワブキの葉っぱと椿の花びらです。
ツワブキの葉や茎からふんわり薫る春の香り。
椿の花は、よく噛むと苦味が出てきますので、あっさりと食べて…。
そんな愉快なクッキングの様子を見てくださいね。
こんな九州の歴史とアウトドアランチを体験してみませんか?
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